こんにちは、ミツバチにうなじを刺された彩メロです!
ー束の間の 刺された痛み 瞬く間ー(彩メロ作 笑)
農業(法人勤務)に従事しているわたくしですが、
栽培のスタートである
播種、すなわち種まきについてのお話です
これは家庭菜園から農業生産まで共通しています
発芽不良の種子を・・・
現在、メロンの栽培に携わっている彩メロですが、
以前こんなことがありました
育苗して発芽した苗を
ポットに移し替える(👈鉢上げと言います)
という作業をしていました
約3,400ほどの苗を鉢上げするのですが、
中には発芽不良のものもありました
双葉(子葉)が黄色くて弱々しく、
皆が、
「これは鉢上げしても、どうせ生長しないだろう」
と諦めるような苗でした
それが100弱(3%)
定植本数は確保できており、
予備の苗(定植後に生育不良に対応するため)も多少あるからいいや
というのがわたしを含めた皆の心理でした
そのため、
発芽不良のものを捨てる
という行為をしてしまいました・・・
メロンの苗を軽んじる心理が表れた
農業者としてあるまじき行為です
大反省です
このとき、わたし(たち)は
「なぜ育苗期間を延ばして発芽の可能性に懸けなかったのか」
もしかしたら苗と培土を捨てずに育苗し続けていたら・・・
もしかしたらもう少し日光があれば、水があれば・・・とか
それほど一つひとつの命を嚙みしめるべきでした
すこし場面は変わって
わたしは毎週、海外実習生とZOOMで
作業のマニュアル勉強会を小規模ながら開いています
日本語の先導も兼ねて仕事内容の意味を
いっしょに理解・共有する勉強会です
そのなかで、
「播種とは、命を預かってこれから育てていることを理解しているか」
という内容を共有しました
ここでみんなで、じぶんのコトバで説明できるように発表し合いました
皆、説明に詰まっていました
彼らは非母国語の日本語というハンデを負ったうえで、
大切だからこそ難しい課題
でも、彼らなりに説明してくれました!
- 種も頑張って生きてる
- 氣もちを込めて育てていく
- メロンにも命が宿っている
まとめ
いかがでしょうか?
今回の真理というのは、
植物も命を宿っているということ
その命を預かる者としての使命を噛みしめること
です
“使命”って“命を使う”って書きますしね(´・ω・)
捨ててしまったあの種はもう戻ってきません
また、植物を育てていたら枯らしてしまうこともあります
そこには多少なりとも技術は必要ですからね
それが悪とかそういうことじゃあないのは、分かってくれたはず!
これが
人間だったら?我が子だったら?
どうしていただろうか・・・
そもそも人間だからとか植物だから
という線引きがおかしいのです
「植物だったからいいや」
なのか
「人間にはしないからいいや」
なのか・・・
今一度、“命”というものを嚙みしめようと思います
命の大小は関係ない
みな平等です
ちなみに、わたしのコトバは
わたしたちは播種した苗の親である意識をもつ
です
苗とは赤ちゃんです
じぶんが赤ちゃんのときって何もできなかった
そんなとき親はわたしを可愛がって育ててくれた
今度は、この種の親として可愛がって管理しようと思います(^^♪
では、ばいなら~✋
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